今日の日記

2002年5月24日
思想の中身ではなく、正統性のみぶり。レッドフィールド一派の位置づけが終わりま した

思想ではなく正統、その表 出のメディアは生活も含めた身体 技法、身振りである。

大伝統・小伝統はダイナミズムを含み込みにくい。
小伝統はつねに大伝統の要素をひくものとしてしか解釈されない不幸
しかしこの点はポンドックの立場とおなじであり、彼らの世界観を説明するには
有効なフレーム

世界を動かしているのは大伝統ではなく権威。
思想の中身ではなく、その外枠、いれもの、担い手のみぶり。

大伝統論では教師が思想を伝えているということになっているが
思想のなかみは実際にはどうでもいいし、まず伝わらない。
大事なのはそれをどういうみぶりで表現しようとしたかということ。
そこに人々は権威をみる。権威はそこで生成されている。
政治家のみぶり、宗教家のみぶり、そしてポンドックの学生のみぶりには
ある共通したものがある。これはふつうの生活者のみぶりではないもの。
そのみぶりのモードで話し始めたときが、権威の体現が必要なとき。
権威のあるひとは普段は人格者であらねばらなない。柔軟でおだやかでなければ
ならない。
彼らは集会やなんやで大勢に語りかけるときだけ変身する。
そして日常の対照的なひとのよさ。親切さ。
このギャップがイスラム的大人物を想像させる。
生成的権威。人格のあらわしかた。PASが今成功したのは党首のおだやかな顔写真
あの顔をみて何を感じますかという問いは具体的な生成イメージを同定しうるだ
ろう。

そしておおきな敵を明示し(権力的に自分よりおおきいものである)、それに
対しての全力の闘争の姿勢、そして普段の生活の質素さ、これが人々を支持にむ
かわせる。

この大げさ身振りモードはときに
一対一関係でもあらわれる。僕に改宗をすすめるときとか

上からのぞいてとる二眼レフはスナップショットにじつは適しているという説を実証してみたい今日このごろ。

行方不明のヤシカ44はベビーフォーマットといって現在では手に入らない特殊なサイズのフィルムを120から切り出しつくらないといけないのでいやなんだが(カメラもどこかにまぎれこんだし)、ローライのフレックスじゃない廉価版のほうとか、そのコピーのリコーフレックスとかミノルタオートコード、誰かもってないかしら&貸してくれないかしら。

今はこれまた手元にないコニカのパールIIという半世紀以上前のカメラがレンズはみためかびだらけでしょぼそうにみえる撮ってみるともうフシギとしかいいようがない味のある描写をするのです。ソフトがかっていてさらにコントラストも低いんだけど、とにかく微妙なトーンの描写がすごい。

ソフトがかってるのはまぁたぶん後玉のかびのせいだとおもうけど、それにしてもそのデキにはいつも度肝をぬかれます。

これがフィルムサイズが中判だからなのか(ラージフォーマットの強さなのか)、それともこの時代のレンズの設計の優秀さなのか(75mmF3.5。35mmカメラ換算だとだいたい標準レンズ50mmに相当する)
あるいはどっちもなのか。確かめてみたい。

で、その関係もあって名玉のよばれ高いローライもつかってみたいのです。やっぱフィルムサイズちがうからそれだけでもう反則技みたいに解像度高いんだよねぇ。雰囲気がうつるというか。微妙な陰影がうつるといわゆる「立体的な表現」という評価をうむことがわかってきた。立体的でもチノンの一体型一眼レフレンズのように(これ評価してるひといないだろうな)絵画的な表現でもいいけれど、とにかくおもしろいレンズためしてみた〜いのです。

とりあえずパールは弟がもっていってしまってるので、てもとにあるロシアレンズ、Jupiterの80mmF2.0を絞り開放で、TMAX400いれて白黒で撮ってみることにしました。今とってます。夜中にふるえながら研究室にやってきた猫さん相手に。さすがに明るめのレンズと400の組み合わせは強力で室内の蛍光灯だけの照明でも1/45くらいまでいけます。うれしい。カラーバランスはいまいちだったのでこの結果が楽しみです。現像は現役写真部の弟におまかせです。信頼できる現像・焼き付けをしてくれます。僕の現役時代よりはるかにうまいのであせります。

そう、確かめてみたい欲求。高いです。このところずーっと。確かめて傷つくのは愛かもしれませんが、レンズはぶつけなければ傷つきません。

ひとりごとでした。

七つ道具 カメラ編

2002年1月20日
帰国してからカメラにはまってる。
ひさしぶりに燃えてる。
諜報員の七つ道具のひとつだし、いいでしょ。燃えても。

弟もそそのかしたら同じカメラ買いやがった。
しかもわしのよりコンディションよくてうらやましい。
ナチュラルブライトスクリーンやグリップまでいれやがった。負けてる。
いや、こっちはデータLX(アナログの機械式時計による日時写しこみデータバック)持ってるんでい!超レアもの。でも肝心の写しこみに必要な電池切れてる。それにこれつけてると鼻があたってファインダみずらいったらありゃしない。
結局ノーマルのバックにかえちゃった。

で、そのあと二人で競争するようにレンズ買いあさりまくり。

もとからあったものたち
SIGMA FA 28-105mm F3.5-4.5 Macro
マクロ倍率が高い。
KOSINA FA 19-35mm f3.5-4.5
なんといっても超広角。しかし画質甘い。
Pentax K SMC 28mm F3.5
むちゃくちゃ解像度高く抜けのいいお気に入りレンズ。自動絞りがしぶくなって冬みたいに寒いところだと開放でしかとれない。本体はLXなのであらかじめミラーアップとか絞込みしちゃえば問題ないが。使いにくいな。

TAKMAR 55mm F1.8 二本
一本は弟が買った。M42マウント。古いがむちゃ味のあるやさしい描写。ボケ最高。45cmまで近接できるし。
RICHO M 50mm F2.0
高解像度でコントラストのいい高性能レンズ。
Jupitar 85mm F2.0(ロシアレンズ ゾナーコピーM42マウント)
安い。新品で1万しない。絞りばねはたしか13枚。ばかみたいに多く、それだけあってほぼ完全な円形絞りになりボケがきれい、なはずだが開放付近ではぴんとがあっているところの前後近辺で二線ボケがけっこうある。それにリバーサルでとるとよくわかるがカラーバランスが悪い。青強すぎ。赤でない。ソラや金属の描写はすごい。質感、立体感ともに。使い方限定されるなぁ。
Pentax K SMC 50mm F1.8
弟が買った。
以下は新年に祖父宅から弟が永久貸与されてきたもの。
Pentax K SMC 50mm F1.4
Pentax K SMC 100mm macro F4.0
Pentax K SMC 28mm F2.8
とくに28mmF2.8はすごい便利。画質好みだし明るいし近接35cmはほとんどマクロの世界。
標準レンズも明るくていいね。画質も定評のものだ。
えーっとほかにもいろいろあるけど
とりあえずペンタックス関係だとこんなかんじか。
弟は毎日のようにLXをぶらさげて白黒でばかりとってる。自分で焼いてるのだが、テク上達のはやさには驚かされる。おかげで今では自分でやらなくても弟にたのんでしまう。らくちん。

カメラは数え切れないほどあるけれど、あとけっこうおもしろくて最近LXとおなじくらいはまってるものでいえばKONICAのPEARL II。120サイズ6x4.5フォーマットの距離連動レンジファインダ機。蛇腹だ。とにかくフシギなレンズ。コントラストひくくてへんてこなネガばかりできる。でも解像度は高いし、なんだかよくわからないフシギなトーンがでる。階調表現力はすさまじい。すさまじいけどへんてこな表現。ソフトフィルターかけたような。なんともいえない味。弟がはまってて、返してくれない。リバーサルでとってみたいのに。シャッター音がむちゃくちゃ静かで、野外だとまず被写体になったひとは聞こえないくらい。ポシャっとしずかに落ちる。自分でカウンター窓をのぞきながら一枚ずつインデックスを合わせて巻き上げ、シャッターチャージしてから、シャッターをおし、また巻き上げるという動作すべてが独立したノブやスイッチで行われるのでよく二重露出してしまう。

PENTAXのAuto110というのもあるけれど、こいつ画質わるすぎる。フィルム(フォーマット)の性能だからどうしようもない。小さくても絞り優先AEついててレンズ交換可能な一眼レフなのに。ファインダのぞいたかんじも素敵なんだけど、いかんせん出来上がってきた写真があまりにも情けない低解像度。

そろそろロシアカメラにも手を出してみようかしら。

諜報員の趣味爆発日記でした。
僕の中でながらく反論できずにいるひとつの仮説があります。つまらないものだとおもうのですが、どうも自分の見聞きしたことや体験からは反論できない。それはソウゾウ活動にまつわるもので、なにかをつくりだそうとするとき、その主体にはしんどい状況がないとできないんだろうかということです。
 災難や悲劇や挫折、喪失、そういったものがあるていどないとなにかをつくろうという方向にはむかないのだろうかと。かわいい彼女の寝姿みながら日曜の朝にサンドイッチつくるとかいうのはヌキにして。ここでいうソウゾウ活動とはぶっちゃけていえば表現活動、音楽や文学、研究などなんですが。
 心に平穏のみあるときには人はなにかをつくりだすことはできないのでしょうか。なにかをつくるためには常にさびしさやつらさのなかに身を置かねばならないのでしょうか。これは僕だけの妄想であればかなり楽になるのですが。
 たとえば人の幸せを実現する方策を考えるのに、自分が離人的な状態になり自分のいるこの世界を一歩引いてみつめなければみえてこない。しかしこの一歩引くという行為はけっこうしんどくて、まわりに人や世界がなくなる感覚(これを離人という言葉で書いたのです)がある。こういうさびしい状態でしか僕の研究はできないのかと思うのです。むちゃくちゃ主観的で、たぶんほとんどの人にはひびかない言葉だとおもうのだけれど。なんでしょうね。
 この表現という言葉は僕の中では「悟り」のようなものとも結びついていて、まぁつまり世の中で当たり前として意識化されない常識のシステムを対象化していく作業には、そのシステムが動いていることに対してのなんらかの悟りのプロセスが必要なんではないかと。そのうえでそれを表現することが可能になり、そういう暗黙のシステムを共有された意識の俎上=議論可能な段階にあげることができる。人類学(にかぎらずガクモン一般)はながらくこういうことを本懐としてやってきたとおもうのですが、そしてこういう自省的で自己乖離的なプロセスをふくむ悟りの作業は、できるかぎり多くの人によって日常生活のうえでもなされていくべきだと考えていたりします。そういう人がふえていってはじめて市民社会というなんだか無理があって怪しげなものが現実味をおびてくるとおもうのです。僕はここで市民像をおおざっぱに覚めた庶民というふうに規定していますが、それに対してあるアンチテーゼを述べた人がいました。
 遠い国の大昔のことを研究しているこの人は、僕の大切な友人にこういいふくめました。生きていく上で、べつになにも悟らなくていいんだよと。この言葉がどうも僕にはずっとひっかかってしょうがない。人生に悟りは必要ない、楽に生きようというメッセージだったようですが、それは僕には逃避にしか思えなかった。なによりその言葉を吐いている本人自身、つねに悟りをもとめ死に物狂いでのたうちまわっているような人なのです。その人がそういうことを他人に言うということ自体がぼくにはとても傲慢におもえてしまった。現実への判断停止をすすめる腹黒い使徒のようにうつってしまったのです。
 悟るというのは怪しさ爆発な言葉で、日常の言語生活のなかではとても使いづらいのですが、僕のここでのニュアンスは、物事をつねに自省的にかんがえようとし、そしてそこから得られたアイデアみたいなものだととりあえず考えています。その悟りを停止させた状態で日常を過ごせばよいというのは、こころにとっては楽だけれども…何を目的としているのだろうかと考えてしまいます。
 平和だからなにも生み出せないのか、あるいはまたその逆説も真なのか。だとすれば平和はいらないと思う人もいるのかもしれない。なんてぼそぼそ休日に考えていました。
 帰国してからというもの、僕はいくつかの障害につきあたった。
 当初深刻だったのは、まず自分がもといた世界=学問の世界の感覚をとりもどすのにかなり時間がかかったことだ。
 もっとも、こんなことは、ある場所に長くすみついていて、それから別の場所にうつりそこでもしばらく生活し、またもとの場所にもどってくるというようなことをする人なら誰しも経験しうることだ。単身赴任で地方都市にしばらくすみつき、ひさしぶりに我が家にかえってみるとどうも言葉や感覚が通じにくいものになっている…とか。
 学問の世界では日常生活さえへんてこな言葉で覆われている。まぁちょうどこんなかんじかもしれない。その特徴をあげてみるならば、なにやら堅苦しく、暮らしのてざわりから遠い、コンクリート建築物の群れのような感触がある。そんな言葉の束を、渡航前の僕は意識することなしに使いこなしていたらしいということを、帰国してはじめて実感した。
 たとえばゼミでのコメント、発表者の言葉、日常のエスプリ光ってるつもりらしい会話の切れ切れにさえそういうインテリ然とした言葉の束が無造作に投げかけられ交錯している世界。その世界にかつて自分はどうもながいこと浸っていたらしい。そして帰国したばかりの自分は、どうもその世界の御約束事についていけない。そんな小難しい屁理屈をひねくりまわすやからは、僕が一年間むこうでつきあっていた連中のなかにはきわめてまれだったし、まぁそんなことしてても現実のはしっこさえも切り取れそうもない現実がそこにあったから、かもしれない。きわめて生活に即した、生きた手触りの言葉の束を僕はフィールドで再構築していった。食べる、寝る、話す、楽しい、悲しい、むかつく…。わかったような言葉でいってしまえば、日常性の回復といえるような経験を、僕はした。
 そしてこのやわらかみのある、またそこそこ手垢のついた日常の語彙を重ね用いることで、僕はなにものかを表現していくべきだなぁと、いくばくかの自信をもって考えられるようになってきた。
 人類学は生活を対象とするはずの学問だが、そこはもうながいこと硬直した言葉の林にしか僕にはみえなかった。この凍りついた学問世界になにか生きた感覚を呼び戻すには、まず暮らしのてざわりのある言葉でそれらを再構築していくこと、いやむしろ脱構築していくことが必要ではないか、とおもった。もちろんこれまでの研究にはそれぞれの意図があり、その意図のかぎりにおいて成功しているものも多いし、意義のあるものはたくさんある。だが学問とは僕にとってはとても私的でありそれが同時に公的でもあるところで、この私的なこだわりを大事にすると、つまり自分にとっての人類学とはどういうものかを考えると、それはどうあがいてももう(名前はまだ適当なものがみつからないのだが)生活主義人類学とでもいうようなものから離れえないのだ。なにを削ってもどう削ってもそういう部分だけがのこるので、これは僕の固着=こだわりだろうと、あきるまでは大事にしてやろうとおもっている。
 そんなわけで、まとめると。もっとふつーの言葉で学問しようよ、っていうところか。

帰国報告

2002年1月11日
じつは昨年夏ごろ帰国していました。
で、この日記はながいこと更新をさぼっていました。
IDを忘れたから、なんてのは言い訳にはならないでしょう。

マレーシアでの一年は長い夏休みみたいなものだったなぁと思う反面、帰国後もまだ休み気分で、今度は冬休みさ、などと思っています。

また2月ゴロから行く予定です。今度は数ヶ月。短い本調査です。たぶんここに日記を書いている時間はない、かもしれません。

ひさしぶりにもといたところにもどってみると、楽しい奴らが増えていました。そして一年のブランクはやはり厳然としてあり、でした。新しい出来事はもちろん、記憶もたくさん失い、そして最終的に長くつきあってきた人も失ったり。

夢を見た。示唆的な夢だった。
大学、大きな階段教室での出来事だった。
そこにいたのが華人やマレー人だったところから考えるとマレーシアの大学のようだ。
僕自身はマレーシアの大学に籍を置いているものの授業に出たことはない。
ではまもなく中年を越えたくらいの男性教師がやってきて、授業がはじまった。
僕の手元には一冊のテキストがあり、たまたま開けたページにはペナンのクーコンシーの古い写真がのっていた。
その写真にはクーコンシーの外門を通して中庭のむこうにある廟や、その廟の屋根瓦の装飾の説明などがのっていた。
テキストによるとこの有名な装飾屋根瓦にはneverneverというへんてこな名前がついていた。
もとの華語をニュアンスを残しながら翻訳したらこうなったのかなとかおもいながら、僕は隣のマレー人の学生と話をしていた。
この写真のクーコンシーには中庭にあるはずの「ダンスホール」(実際には舞台)がないよねとか、最近この中庭の左手にも新しい建物がひとつつくられているとか、そういった話である。
授業中だったのでこそこそと話していたのだが、さすがに最前列ちかくにいた僕らの私語は目立っていたのだろう。
事件はここでおきた。
教師は突然授業を中断し、両手でふるめかしい大きな杵の槌部分だけのものをもって我々に近づいてきた。
教室はざわめき、僕らは瞬時にこれからなにがおこるか理解した。
マレーの学生(友人というほどではなくクラスメート)、そして僕の順番でその槌は容赦なく背中に振り落とされ、さらに教師は力をためて肘で背骨をおらんがごとくに彼の背中にエルボーをくらわした。
まさに鉄槌のような、容赦ない攻撃である。
さすがに僕はこれにはキレてしまった(僕の番はまだ次だったが)。
キレた理由をその場で即座に冷静に整理した。
こういうときは暴力で反撃しても学生という身分のほうが圧倒的に不利な立場にある。
なにより一応彼には授業中の私語への罰という正当化の根拠がある。
まずこれを理論的に崩しておく必要がある。
そして彼に倫理的な制裁を加えておくのが適切だと、なんだかえらそうだが夢の中の僕は考えた。
いらだつ気持ちをおさえて静かにゆっくりと英語と、大事なところはマレー語をまじえながら僕は教師の行為を非難し始めていた。
こういう体罰は素直にうけるものなのだろう。
僕の突然の反撃に教師は驚いた様子だったし、クラスはざわめきたった。
まず僕が言った言葉は
「今すぐそれをやめなさい。あなたにそこまでする権利はどこにもない。」
「それは授業中の私語という罪に対する正統な罰とは言い難い。暴力以外の何者でもない」
「暴力は憎しみを残し争いの種にはなるが、なにごとも解決できはしない。」
「まずなにより教師は教える職業であり、それは言葉をつかってなされるものであって、暴力をつかって教える授業などどこにもない。そんなものは古い時代の兵隊の世界か、アウトローの世界でのことであって、洗練された知識人であるはずの教師には万が一にもあってはならないことのはずだ」
「そのような粗野な(Kasar)やりくちは、無知蒙昧Jahirで、言葉がないのような生き物、つまり人間ではなく動物の所業である。」
「叡知ある人間なら、まず最初に「私語をやめなさい」と注意するだろう。」
「お互い言葉をもちコミュニケーションできるのなら、そして若干の知性と教養がある人間同士ならそれで十分通じ合うはずだ。」
「なにより教師は人徳と教養で、強要なしに人を導くのが仕事でしょう?」
「なぜあなたはそうしなかったのか?」
「この國ではこういう暴力は許されているのか?だとしたら僕はこの國にきたことをとても残念におもう。」
「このような状況がまかりとおっていることが普通なのですか? みなさんはなにもおかしいと思わないのですか?」
こんなことを丁寧に、大学生でも英語が苦手なものが多いマレーシアなのでマレー語をふんだんにまじえながら一通り言った。
そこで夢は終わった。
夢自体はちょっと気にくわない不快感を残しただけのモノだったが、この夢のあと、僕はいつでもさらにゆっくりと話すようになった。日本語でも普段からこんなかんじで文語的な会話をする自分なので、相手によってはわかってもらえないこともおおい。なによりこういう会話スタイルに生理的に拒否反応を示す人だっている。

さて、21日朝からKLに日本からの賓客を出迎えにいってまいります。日馬政策決定の実務級レベルの作業がこれでやっとこさ本腰にはいれますわ(うそ、遊ぶだけ)。

諜報活動再開

2001年2月10日
クアラルンプール、ペナンと2週間ほど休日を満喫してきた。あっちはあつい。ここは涼しくていい気分なのに。

ちょっと遊びにいそがしくて日記がさぼりぎみであるが、10日くらいしたらまた一月ほど不在です。隣国タイの事情を視察にいってくる。

まぁそうせくな。

用心棒なら最近英語の字幕がついてるやつをVCDでみたぞ。椎名林檎のプロモビデオもgetした。いいぞー。

中華正月ぼけで意味不明

もうすぐ中華正月

2001年1月21日
なので華人の多いKL、ペナンに偵察にいってきます。うそです。遊びに行くだけです。

報告さぼってますねー。ちょっと目前の書き物に首を絞められていて根性がありませぬ。

メモ: 中華正月前後はテレビ・新聞などでもチャイナなもの解禁ってかんじ。街もめずらしく中華な歌であふれてる。ここぞとばかりにやってるんだろうな。もちろん対抗のつもりか、すでにおわってるはずのハリラヤネタでいまだに番組くんでたりするのがおもしろいが。都市部ではハリラヤは一月つづくらしい。田舎ではもちろんもう終わってる。

マレーシア政治世界の特徴についてメモ
・よくもわるくもオープンすぎる
 根回しがほとんどない。例; suhakam 108pt request and its response
 →新聞などを通して子細なレベルまで知ることが出来るので、政治的意思決定のプロセスがわかりやすく、可能性的に国民の政治参加意識を持続的に維持している。
 →いきあたりばったりともいえる。言い出して引っ込めることはざら。
 →華人系の政党は若干根回しがしっかりしている印象がある。
・個人プレー
 政党自体、中心部から学生たちの下部組織などまで大きな組織体のわりに統一的な立場で動いていない。かなり個人プレーにはしりがち。
・政治的言説の嵐のような応酬の結果として國が動いているかんじ。
 あるいみ健全。
 しかし個々の政治的言説はあまり知性を感じさせない(どんくさい)ものが多い。
 わかりやすいという点では評価できる。
 頭の回転がひとよりちょっといい奴ならわりと簡単に政治世界を手玉にとれる。


 「ムスリムか?」ともよく聞かれるだろう。日本人にしてみれば宗教をいきなりたずねること自体ひじょうに失礼なことなのだが、彼らにはそういう感覚はないのかもしれない。もしあなたが旅人か、「いい人」(笑)なら、ここでは、「Bukan Muslim 非ムスリム」という答えよりは「Belum Muslim 未ムスリム」という答えがいいだろう。マレー語の否定形には三種類あるが、Belumはそのひとつで、現在の状態は「まだ〜でない not yet」を意味する。つまり将来なるかもねという含みをもたせることになる。これはムスリムの口癖「インシャアッラー(神の思し召しとあらば)」と水面下で呼応して、「神の思し召しとあらばムスリムになるかもね」というまぁおめでたい感覚を想起させるので、「Bukan Muslim 非ムスリム」と答えるのとは比較にならないほど彼らの対応を変化させる。「Bukan Muslim 非ムスリム」は言外に「将来にわたってムスリムになるつもりなんてありませんよー」という意思の存在を想定させうるので(なぜかマレー人には慣習化されたそういう思考経路が存在するようだ。おそらく彼らが忌み嫌う華人の回答を想起させるからだろう。マレー人とは犬猿の仲の華人がムスリムになることはきわめてまれだ)、そう答えれば、たちどころに彼らの表情が失望あるいはこわばるのを確認できるだろう。

 この問いのあとに、負けず嫌いのあなたは「正しい理解なしに正しい信仰はない、これはイスラムも教えるところだろう?」「そして正しい理解には知識の追求と、それを取り込む知性が必要だ」そして神は人知を越えた存在であるという教理から、逆説的に、人間には完全な理解は原理的に不可能であることを確認し、「だから私は常に知識を追求しつづけなければならないのだ」と付け加えておくとだいたい完璧だ。この場合の理論的反駁は、「神は人知をこえ、人は限界があるからこそまず信仰が大切なのだ。理解と信仰は異なるレベルのものだ」という当然のつっこみがかえってくるはずなのだが…、まだ出会ったことがないなぁ。こんなことはどの世界宗教にもかならず内在しているはずだが。

 この程度の理屈にきちんとした理屈でかえせない人間からイスラムの説教をうけてもつまらないだけだ。しかし、これまた残念なことに、宗教的な知性の集まるところとされるこの地(私がいるところ)においてさえ、数々の宗教知識人とのなかば強制的な「宗教哲学(もどき)的対話」を経ても、いまだ説得力ある理屈で私をまるめこんでくれる人物に出会ったことがない。

 これまでの質問や回答は、私にとっては、異教徒として常日頃感じている素朴な疑問に安全確実に答えてもらうための準備が相手にあることを確認する手順だったりする。しかしここまでいきつかない…。
「なぜ多くのマレー人はかくも買春するのか? ハラームなのに。」
「なぜマレー人には規律がないのか?」
「アッラーが万能ならなぜ豚をつくったのか?」
「イスラムは世界宗教というが、信徒をマッピングしてみると、実際には他の世界宗教(仏教・キリスト教)と同じく、生態環境にいちじるしく依存した地域宗教であるという側面がみえてくるが、これはなぜか」

 いくらでも解説を聞きたい質問があるのだが…。これらは単なる皮肉とかではなくて、こういう現実とのギャップをどのように解釈したりあるいは直そうとしているのかを具体的に知りたいがゆえなのだ。現在のひとりよがりの理解レベルでは、つまりはすべてイスラムが信徒に要求する条件があまりにきついためにほとんどの人がついてこれないことと、先述の外在的自我統制のふたつにより、「正統なイスラム」を社会にインプリメント実体化しようとすればするほどに、現実が離れていくという基本構造があるのではないかという仮説にとどまっている。もっともこれは参与観察という伝家の宝刀をもちいて日常生活の諸経験から得られた知識をかきあつめて、私が勝手につくりあげた作業仮説にすぎず、個人的にもこういうちょっと残念な仮説をくつがえす別の説明の存在を知りたくてしょうがないのである。

おまけ:これは皮肉にしかならないかな。しかしこのことにさえ気づかない人がおおいのはなぜだろう。やはり私には「ヨソモノ効果」(PAT.PEND)により差異化の力がつよく働いているからか、あるいは「現象の二側面理論」(PAT.PEND)により説明可能な、「ただの思いこみ」なのか…。
「マレーシア経済をにぎっているのが華人であるとすればマレーシアの経済的成功も華人によるものだということになる。となると多くをこの点によっている"イスラム国家マレーシアの成功"とはつまりはムスリム国家の成功ではなくて内部に巣くう華人の経済活動に寄生して言あげをしているにすぎないのではないのか?」

しかし信仰(あるいはその集合表象としての宗教)を語るのには常に難しさをともなう。さいわい信仰に対して絶対的な善の価値が付与されているマレーシアでは、このような議論を公然としてもあまり煙たがる人はいないが(むしろみんな注目するだろう、すくなくともマレー人は)、日本でやったら大変だね。この日記帳システムだって、無条件に「宗教のことはだめ」ってことになっている。まぁ、ここでの言説は主義の主張でもなければ信仰の議論でもない。議論の手続きをさらりと書いているだけにすぎないから、冷静な読者なら別になにも問題だとは思わないだろう。信仰の告白は個人の自由だし、主義の主張もインターネットだからこそますますその自由を保護されてしかるべきだが、なぜか(なぜかは説明可能)日本では「宗教」はタブーなんだよね。個人的にはそんなことここでやろうとは思わないけれども。

宗教なんて実践主体にとっては「主義」の下位概念のはずなんだが…。たしかに、組織体としてのファッショな側面に一般的にトラウマ的恐怖をいだいていることは、歴史的にも社会学的にもあるいは民俗学的にも説明可能だ。実際自分自身「日本人の宗教」についてたずねられるたびに丁寧に「"日本人"の宗教嫌い」の現状とその歴史をくどくど説明している。「ここが変だよ"日本人"」の基本的な矛盾(というか番組存在の理論的仕掛け)に自分もはまらないように気をつけながら。ときにそれを自分も利用しつつ(だって気づいて反駁してほしいのに気づかないんだもん)。

外にいてはじめてわかる祖国かな。ってところだ。

ちょっと今回のはつっこんだ内容でしたね。かなりやばいことは承知のすけ。
学問的な議論ではこのレベルでも(もうすこし慎重なものいいにするけれど)全然問題ないっす。マレーシアにおいては日常的な議論のレベルでも、別段問題になるレベルではないね。文化的スレッショルドレベルがちがうのでしょう。ということにしておきましょう。乱暴な説明だけれども。

さて、今日はひさしぶり(10日ぶりくらいか)に書くのでがちっといきまっせ。

ちょっとセンシティブな問題なので、最初に。
これは信仰そのものの議論ではなく、ゆってみりゃ論理学の実習みたいなもん。
まぁ、所詮は独り言だからそう害はない。
モンクがあるやつは最後までしっかりよんでからね。
ええっと、come2malay@time.net.my にお願いします。SPAMは帰ってくるみたいだから気をつけてね。^-^;

ちょっと危険な想定問答集:「宗教は何か」というよくある問いにむかつくあなたに。
「あなたの宗教は?」逆に聞き返してみよう。たいてい、イスラムだろう
「オラン・イマームか?(敬虔な信者ですか)」はい、と答えるだろう
「イスラムとはどういう意味か?」 平和だと答えるだろう。→服従という意味もあることを確認
「オラン・イマームにとって大事なことはなにか」→個人にとっては日常の信仰実践と絶え間ない知識の探求である。後者がとくに大事。他者に対しての「寛容」も大事であることを確認。
「絶え間ない知識の探求はなんのためか?」→イスラムの正しさを理解するため
(どんな返答にも切り返せる自信と余裕があれば「知識がなければイスラムの正しさは理解できないということか」とさらに聞いてもいい)
「ムスリムは旅人・貧乏人・異教徒などにはやさしく、自分には厳しくと教わるはずだが、実際にはそうでないのはなぜか? どうすればこれは解決できるのか?」
「豚を食べるのはハラームだが、差別はハラームではないのか?」
「なぜマレー人は他の人種を差別するのか?」 →具体例としてマレー人のみ受講可能なマラヤ大学の試験対策クラス、あるいはより有名な固定入学枠。→「不公平状態をただすため」というのがおそらく模範解答的にでてくる
「経済参加の不公平状態をただすNEPはまだしも理解可能として、個人の努力だけに完全におっているはずの教育になぜ底上げが必要になるのか?マレー人は生まれつき華人より平均的にIQが低いということか?」(かなりきれてくるかも)
「イスラムが正しく唯一の道=王道であるなら、その自信と余裕を態度でしめせばよいのに、なぜそんなにこわがったり怒ったり差別したりするのか?? オラン・イマームとはカサールではなくアサールで、どんなことにも動じず、自我をしっかりとコントロールできている人間ではないのか? そしてイスラムは寛容 open-mindedが基本ではなかったか?」
→実際、感覚的な比較の問題だが、一般的日本人のほうがはるかに自我のコントロールができる。というか、マレー人はあまりに自我のコントロールの訓練がされていなさすぎると感じる。これは(マレーシアの)イスラムの性質(生活の全領域にわたる雑多なルールで外部から自我をしばる)によるところがおおきい。

 で、結局おまえの宗教はなんやねん?といわれれば、僕は「知識と知性だ」と答えることにしている。信仰のレベルでは仏教徒だが、そういうのはつまらない。というのは、マレー人が宗教に対して一般的にいだいている理解=「宗教とは道徳で、行動基準である」というものにあわせるなら、仏教は個人の責任と自覚・努力にその部分をゆだねているため、彼らのステロタイプ(仏教徒=不道徳)を再確認させるだけになりくだらない。むしろ意外な答えをして相手の反応から知性を推し量ることぐらいは許されよう。一見矛盾している「私の宗教は知識と知性だ」という答えは実質、マレー人あるいはイスラムがもっとも恐がり嫌う「無宗教」(=無道徳状態)ということになるのだが、なぜかいままでそのことに気づく人はいない。知識と知性それ自体はイスラムにおいて唯一神の信仰の次にほぼ同時に必須とされており、圧倒的に善の価値が付与されている概念なので、彼らはそれ自体を問題にすることはまずありえない。ちょっと頭のまわる人間なら、ここでとうぜん「知識と知性も正しい信仰があってはじめて意味をなす」という理屈(タウヒード)をもちだして反駁できるはずだが、不幸にして今までそういう人間に会ったことがない。また、一番最悪な答えは「無宗教・無信仰」である。これもつまらない結果をまねく。

(14日に続く)

三度目の千年紀

2001年1月12日
あのね。西暦って元年(1年)からはじまってるでしょう? 平成とか昭和とかもそうだけどさ。だから最初のミレニアム(千年紀)は1-1000年年までで、Second Millenium は1001-2000年まで。ほんで今年からthe Third Milleniumなんだね。じゃあ去年のバカ騒ぎはなに?? アホはだまされるということで…。消費文化の片棒を担がされたわけですな。
日記はじめたころから書こうと思ってて書き忘れてた。ふぅ気持ち悪いのすっきりした。

あほの一人
煮詰まっててネタひろげてる余裕がないのでダジャレでごまかしちゃえ。

◎広域編 - 一般むけ
【ミレニアム騒ぎ】
1000年に二回ある。ゼロを知らない原住民が始めた奇妙なお祭り。

【IT あいてー】
インチキテクノロジーの略。
広義には、既存の技術に新しい名前をつけて地球にやさしくリサイクルすること。
エクステリ政治家やミスコミが多用、一過性の刺激は一部の無垢な原住民を魅了した。
[ref. ITで乗り切れ!]

【「ITで乗り切れ!」】
エクステリ政治家やミスコミの合い言葉。
でたらめ、てきとー、でっちあげ、小手先のインチキなワザで繰り出してなんとかその場をしのぐこと。なぜかそこそこ成功した。

【ICQ あいしーきゅー】
愛死球。異性と知り合いになりたい我が者が使う飛び道具。愛を夢見て自意識過剰な言葉で次々と無差別攻撃するが、だいたい一人あたま四回やったところで逃げられたことに気づき、世の無情を悟る。
大陸の住人たちによれば、ICQは、"I see, quit"「なーんだ。やーんぴ」と捨てぜりふを残して去っていく者が多いからだという説もあれば、その一方通行的コミュニケーションの形態から"i sick you"「げろをはく」, "i sic you"「けしかける」だする説など、諸説紛々としているが、いずれにせよその原義 "i seek you"のもつストーカー的側面(他者存在の認知拒否という人格障害)を脱し得ていないのは皮肉である。

【ホームページ】
新しいカタチの個人サイト。個人宅の特定の端末(兼サーバー)でしか閲覧不可能なため、インターネット経由の侵入は物理的に不可能。苦労して入っても得るものはない。
(同位語 ローカルファイル)

【ウェブ斉藤】 たいてい自己紹介と掲示板しかない典型的な個人サイトの総称。

【ウェブマズダー】 ウェブサイトをしっかり管理する神様のような人。ほとんどいない。

【ISC インフォメーションスーパーコリドール】
マレーシア版情報ハイウェイ。超伝導素子をもちいたリング型トポロジーのWAN。
しかし、基本的設計ミスのため、大昔の情報がいつまでも循環している孤高のネットワーク。
外界から隔絶され、入出力ができないのも痛い。
別名 Independent Superconductive Corridor


◎狭域編 - 一般適応性の低いもの

【ping】 同業者の在宅/御機嫌確認のためにつかう呪文。
跳ね返ってくるので、帯域保証のある相手だと過ロー状態もわかる。
キレたり飛んだり落ちちゃったりしてると常に一定の返り血を浴びる。
一般にこの呪文をさけて居留守を装うのは難しいとされる。
携帯メールでの使用例 $ ping saitou.org

【探検野郎】
ちびでやわい奴にもれなくついてくる興奮しやすい無差別テロリスト。
カウントダウンもせずにいきなり爆発explodeする。
最近はシームレスになってインターネット世界にも冒険し、やはり爆発する。
破壊工作者でありかつ、実は裏でちびでやわい奴に被害者の情報を流す二重スパイでもある。

【ゲイツはMeをタスク】
芸はなくとも成功する方法。
不要な新機能てんこ盛りで同時実行命令を増量した不安定ソフトウェアを
ばらまいて、半永久的に繰り返される尻拭い(version up)で自分だけは
えらく儲けた眼鏡野郎の故事による。
[ref. 多ゲイは無ゲイ(未定義), ゲイジュツ]

【風邪を吹かして問屋で儲ける】
Wind〜sという名前の流行性の不治ウィルスをばらまいて
その対症療法として固いもの柔らかいものいろいろ売って儲けること。
毎年新しいタイプが発見され、ハッカーやクラッカーの餌食になる。
(c.f. 問屋=warehouse イレモノwareを売るので日本では桶屋とも言う)

【ゲイジュツ】
ゲイツのサバイバル術の略。転じて多くの犠牲と無駄の上になりたつ、
役に立たないものの総称。巧妙な仕組みにより、経済的には成功する。
「それって、 ゲイジュツ的だね」
[ref. 風邪を吹かして問屋で儲ける, ゲイツはMeをタスク]

【カスタマーサポート】
辛抱強く愚痴を聞く仕事。「カスな奴が多いが、たまに人助けもする」の略。
NTなど、ゲイジュツ的な美しさでIT満載の能率降下兵器を量産している眼鏡野郎の会社では、チャレンジャー精神旺盛な人間がこの仕事をすると、あまりの過ローにたいてい落下事故を起こす。さっさと分岐して機織りにでもなったほうが余生は長い。
[ref. チャレンジャー精神(リンク), 機織り]

【過ロー】
ロード過多の略。症状初期にはドリンク剤等によるドーピングでも若干の改善があるが、慢性になるとそのうちキレたり飛んだり落ちたりする。なかには浮浪に新しい人生を見つける者もいるが、これもすぐ慢性化する(オーバーフロー)。はやめの責任分散処理でタスクとマシンの共倒れを防ぐ必要がある。しかしハードな環境下で分岐予測ルーチンを改善しすぎると、すぐに全戦力が最終解脱してしまい、大文字主義がなりたたないので、中間管理職にはバランス感覚は求められる。
[ref. 解脱, 大文字主義(リンク)]
(過ロー死)

【機織りになる】
汚れきった会社生活から手足を洗って、自営技術者としてシンプルな生活を送ること。
現在では創始者のようにクノウスることはあまりなく、投資ゼロで生産性はかえってあがる。
最終解脱への第一歩とされる。「やっと機織りになりました」「おめでとう」
MS-Office 製品から TeX 環境に乗り換えたことで心の平和と家計の安定を得られた故事による。(同義語 テクニシャンになる)
(下世話なメモ ’text’ ラテン語で"織られた物"という語から派生)


ラップの文化

2001年1月8日
マレーシアには伝統的なラップが存在する。リズム、メロディは数種類しかない形式のどれかなので歌詞そのもので勝負がきまる。20人とかの大人数が座りこみ、シンプルな太鼓のリズムにのって、ひとりの人間がいうセリフをみんなで繰り返す。それをずーっと続けるというもの。女性と男性半々の場合もあるが、たいていは男性のみ。これがけっこうおもしろい。とくに歌詞の内容がわかってくると、なんか笑える内容が多いのでこんどCD買ってみるつもり。さっきラジオでかかってたのは、「2001年だ〜 おれたちの国は経済もばっちりさ」みたいなハッピーな歌だった。

ひとつ峠をこえた。一本仕上げたのだ。明日はピアノひきにいってこよっと。さぁあと二本だ!

日本酒のようにすかすかいくといいけれど。

紙上原理主義者になりつつある諜報員二号

1/6の盗聴記録
内容要約:
・生活者的知識人を創り出す装置
・東南アジアイスラム世界への帰属というトランスナショナルな物語
gonta : 生きてるか〜
beast : 生きてるよ〜ん
gonta : 飼い主は昨日、脱皮しました
beast : まじですか?
gonta : 論文の構想もしぼれてきたし。
beast : 何書くの
gonta : 政治のほうまで直接のりだすのはたぶんやめておくとおもう。
gonta : 「社会に生きる知識人のつくりかた」みたいなものになりそう。
beast : ふーん
beast : ポンドックでつくられる?
gonta : 結局、ポンドックの社会的な機能を説明するというものになる。でもこれでいいのかなぁ。
gonta : ポンドックは僕が考えていたような方法ではなくて、とても迂遠な方法で理想社会へのアプローチを目指しているらしいことがわかてきた。
beast : ほうほう
beast : どれくらい迂遠なの?
gonta : 未来永劫かかっても論理的に永遠に実現不可能というほどに迂遠。
gonta : ははは、すごいよね。彼らはこのことに気づいているのかどうなのか…。
beast : 大乗仏教のようだのう
gonta : 理想像はいいはずなのに実際のイスラム社会がなぜうまくいかないかもわかってきた。
beast : へえー
gonta : そうだねぇ。結局付け焼き刃は付け焼き刃…なのかもしれないね
beast : どういうこと?
gonta : しかし彼らの政党はマレー人の支持という点からみればもうすでに与党を上回る支持をえている感覚もある。
gonta : 簡単にいえば、理想が高すぎて厳しすぎるから、誰もついてこれない。簡単でしょ?
beast : それが付け焼き刃は付け焼き刃ということ?
gonta : 数え切れないほどの「禁止」で被われた理想的な禁欲的宗教生活を現代社会で体現できる人はそれほど多くはない。
gonta : 付け焼き刃のほうは、もっとダイレクトな民衆への働きかけということ。
gonta : ポンドックが理想社会像をしめして、そこへ人々をもっていこうとするというのは理念としてポンドックの基本にあるのだけれど
gonta : その方法は、日常的に「あーしなきゃ、こーしなきゃ」って村人に指図することで実現できるとはあまり考えられていないようなかんじだった。
gonta : 直接的なリーダーシップを発揮するのではなくて、共同体によりよき生活者としての知識人をどんどんおくりこむことで内部からじわりじわりと変革していこうというものらしい。
gonta : 親が子供を育て、村がよくなり、國がよくなると。うーんなんだか幸せそうなビジョンではある。
beast : いやー、立派だと思うよ
beast : それくらい長期的な展望で物事を動かそうとするというのは、賢いよ
gonta : そうだね。そういう動きがちゃんと一定程度の人々のサポートを得ているというのも考えればすごいことだね。
beast : それほどに高い理想を共有できるというのは、ある意味うらやましくもある
gonta : しかし行き着く先は厳しい禁欲的世界だから、なかなか大変でしょう。
beast : たとえ実現しなくても、そこに近づこうという努力が重要、と大乗仏教も考えている
gonta : 話していて気がついたんだけれど、どうも現実のだめさを指摘しながら高い理想を語ることにはある種の陶酔感が常にともなう。
彼らのポンドックの世界はこれで満ちている。
beast : それはそうかもね
gonta : ははは、ナマケモノが大乗教理を語るようになるとは思わなかったよ。
beast : 革命とかもそうじゃない>陶酔感
gonta : そう。
beast : 佛教ぐらいしかよくわからんからね
gonta : けっこうこの陶酔感って大事な要素だとおもう。
gonta : どこかで対象化してうめこむ必要を感じました。はい。
beast : そうだね
gonta : わしもいろいろアイデアがぼそぼそ沸いてきたので、小さな論文いくつかまとめられそうな気、だけはしてきたよ。

gonta : タイのラジオ曲で、マレー語番組やっているのを教えてもらった。
gonta : しかもパタニー語。
gonta : こいつはクランタン語をさらに強力に訛らせたモノだといっていた。
beast : パタニー語って?
gonta : タイのパタニー地方で話されているマレー語の方言。
beast : クランタン語なんてのもあるのかぁ
gonta : タイ人が話すマレー語、訛ってておもしろい。>ラジオ
beast : 君のマレー語は訛ってないの?
gonta : オレのマレー語のほうがきれいだと思う ^^;
beast : まあ、外国人はきれいな言葉を覚えるモノだからね
gonta : タイ語風になまってて、なんか田舎のおっさんが一生懸命標準語話してるかんじで、かわいらしい。
beast : あ、タイ人のマレー語もそうか
gonta : そうだよ。その理屈はなりたたない。
beast : タイ語とマレー語って似てるの?
gonta : 音声学的な問題だとおもう。
gonta : 発音のメカニズムが中国語的だから、日本語のようなローマ字読みは苦手なんだとおもう。
gonta : 全然似てない。
gonta : でも昨日一日マレー語どっぷりだったから、そのあとにきくと、タイ語のなかにマレー語とおなじ発音の言葉をたくさんみつけて、「あれ?マレー語??」とかって何度も思った。
gonta : CMのナレーションなんだけど、こういうときふつうきれいな言葉はなすじゃない?それがなんかほんと市井の人が話しましたってかんじで、なんか親しみもてる。>タイ人のマレー語。
gonta : タイ語は勢いよく流れる透き通った川のような感覚をうける。
beast : タイでマレー語のCMとか流れてるんだ
gonta : おもしろいでしょ? マレー語話す人口が70%いるところだからだとおもうよ。
gonta : エスニックマレーってやつだ。
gonta : 今でも時々分離独立運動やってるゲリラも活動してるようだし。
beast : そんなすごいのかぁ
gonta : マレー語はでこぼこの農道を悪態つきながら歩いてるおっさんの茨城弁みたいなかんじ(かなりいけてない)。
beast : はははははは

覚え書きのためにずらずら書いておく。
入学動機は公教育からズレ落ちた人々のオルタナティブとしての選択が多いこと。
マレー人大学生の90%はPASシンパであること。
ポンドックにいるような人はみんなPAS支持であること。
UMNOがマレー人から離れられていくのは「口先だけ」のイスラム化だからだということ。しかし与党UMNOはマスメディアのほとんどを押さえており(TV4ch、衛星会社のASTRO、ラジオ、新聞)、その日常的な刷り込みは強力であること。
だが宗教知識人は少ないこと=説教(Ceramah)をできるような人材がいないこと。
あほなマレー人が多く、それゆえ知識人の役割がでかいこと。

ある日のチャット傍聴記録より
リンク
でもほんと、こんな論文かく手間にみあう医者の世界への「治療効果」はあるんだろうかねぇ
beast : 世論を沸騰させる位なのでは?
gonta : 精神科医の世論?
gonta : 「あいつらヒマだよなー」でおわりそう…。
gonta : マレーシアのお菓子は、蜂蜜たっぷりだよ。
gonta : プーさん好きだろうな。
beast : よし、今度食べるぞ
gonta : 蜂蜜とココナッツの甘い香り。
beast : いいねー
beast : 君もご飯食べといで
gonta :
でもプーさんは蜂蜜原理主義、いや唯物主義らしいから、テロるかもしれないね。まぁナマケモノには関係ないよね。
gonta : 唯蜜主義
beast : 唯蜜主義史観
gonta : 前進前進まおがんつぉ
gonta : どんな史観だろう。
gonta : 考えておいてね。
gonta : プーさんにきいてもいいいけれど。
gonta :
きっとまともな返事はかえってこないとおもう。
beast :
自給自足的蜂蜜採集から工業的大規模採集へ
gonta : イーヨーなら得意だろうな。
gonta : はぁなるほど。で、その途中は?
gonta : そして究極目的は?
beast : 究極目的は蜂蜜の共有
beast : 誰がとっても誰がなめてもいい
gonta : あはは、それいい!
gonta : なんてイデオロギーなの?
beast : プーさん主義
gonta : うはーーーがはははあ
gonta : うけるー
gonta : すっげー貧相なイデオロギーっぽい
beast : 世界同時革命は目指しません
gonta : どうして?
beast : 蜂の行動範囲は所詮狭いから
gonta : 生態系の問題ね。
beast : そうだね
gonta : そうか、やっぱり貧相なイデオロギーだな。
gonta : プーさんらしくていいや。
gonta :
「ぼくがすこぶる満足に蜂蜜を食べられれば」
gonta : 「それでいいんだよ」
gonta : 「みんながつくってくれれば」
gonta :
「僕は食べるだけでも生きていけるでしょう?」
beast : そんな感じかも
gonta : これが、プーさん革命の動機
beast : プーさん党宣言を書かないと
gonta : ナマケのステージに通じるものがあるね。
beast : 通じる通じる
gonta : なんだけっきょく通底するのは
なまけの思想であった。
beast : そうだね
---
なるほど、プーさん主義か。甘いワナかもしれない。
外在的倫理と宗教 「アッラーはみている」
 マレー人にとっては、無宗教=自然状態、つまり無道徳と考えられているようで、無宗教は恐るべき状態である。よって、現在の一般的な日本人は「非常に恐るべき状態」ということになる。しかしこれは日本人の一般的感覚とはギャップがある。ちょっと短絡的だが、日本人は道徳が個人の価値観のなかに強く内在化されているといえるだろう。神や法などといった外的存在とは無関係に、rootlessな、説明不可能な起源をもつ(それゆえ内在化と書いた)道徳感覚を植え付けられている。神がみていなくても、できないものはできない。あるいは神の代替は他人の視線なのかもしれないが。

 かなりおおざっぱな話で申し訳ないが、これはマレー人がもっている一般的な思いこみ(すこぶる単純なもの)を対象化しようという試みなので、おのずとその既述もスペキュラーなものにならざるをえないことは見逃していただきたい。こんなこと、どういうふうに諜報報告で書けばいいのだろうか(これじゃぁステロタイプ合戦だ)。

マレー人「気質」
 素朴さがいいのだが、これは諸刃で、だまされやすく利用されやすいのも彼らである。深くつきあうようになると、その単純さに呆れることも多い。政治家たちが日常的に繰り出すその場しのぎの非常に怪しげなレトリックにも、いともかんたんにのってしまうのはなぜだろうか。高度な宗教教育と弁証法的思考を身につけている(はず)の、自信たっぷりの宗教教師でさえ、逃げ口上にこちらが試し撃ちした単純なレトリックの穴をつくことができない。これでは将来はつらい。

 かなり厳しいことを書いているが、それでも僕はマレー人が好きだ。おっさんでもじいさんでも、彼らの笑顔はほんとに素敵で、かつ心根のいい人たちが多い。しかしシンプルではある。もっと賢くならねば、裏に裏をかく華人に負けっぱなしだぞー。

「これでイスラムだったら最高なのに」
 ある中東の学者が日本に行っていろいろ見聞きしていった言葉らしい。ポンドックで知り合いになったマレー人のおっちゃんが「こんなこといったら気を悪くするかもしれないけれど…」と遠慮がちに切り出した話題。彼は日本をたかく買っているらしい(私にはその裏の意図のほうが気になるけれども)。
ポイ捨てゴミもほとんどなくきれいな街、まじめに働く人々、低い犯罪率。
「イスラム的に理想の國」なのだそうだ、日本は。
で、でてきた言葉が「これでイスラムだったら言うことないのに」だそうである。
おもわず吹き出しそうになったが、ここはこらえどころだ。それにしても、なぜ「どうして日本はイスラムなしでそういう状態になれたのか」を考えようとしないのだろうか。日本がかりにそういう「よい」状態であるとして、イスラムなしにいやさしたる宗教倫理なしにそれを達成し維持しつづけられている「不思議さ」にまず気づいて欲しいものだ。

 「資本主義社会においてプロテスタントが成功したのは、その宗教倫理から説明できる」というのは『プロ倫』を始祖に、今ではいわば西洋学問世界の古典的常識となっている。「明日の投資のために今日の貧しさを我慢し貯めて育てる」倫理が、資本主義シェーマとマッチしてプロテスタントな人々は大成功した、というわけだ。では、日本は、プロテスタントでもないのに経済的に破竹の成功をした(研究の主な対象となっている時代はとくにちょっと前の江戸末期から明治の富国強兵、世界大戦までだが、現在でもまぁいえるだろう)のは、、なんでだろう?という当然の疑問がでてくる。このナゾ(オリエンタリズム的妄想)にとらわれた西洋の日本学研究者は、プロテスタンティズムにかわる倫理を見いだそうとして、P.バーガーらをはじめとして数々の実りを得ている。しかし、同じような企図にたつ研究がイスラム世界においてはどうもなさそうなのは、もちろん筆者の寡聞もあるが、さらには日本がどうてもいい存在であることもあるのかもしれないが、そして、そんなことしてるヒマねえっちゅうだよ状態なのだろうが、それにしてもちょっと寂しい(なんか弱腰な終わり方)。何か言うときくらい、せめてもうすこし調べてから言えよとか、べつに言いようがあるだろうにと思ってしまう。こんな小さなことの積み重ねからでも、よそ者である我々には、イスラム中心的な世界観を相対化しえないイスラム知識人の学問的レベルを疑ってしまうし、一般ピープルな自分としては「やっぱしイスラムってなんかねぇ」というイメージを強くしてしまうのだ(それはイメージにすぎないのだけれども、実生活で接してつねにイメージを更新できない世界にいる我々には、それが「実態」にとってかわるものとなる)。

しかし、この「相対化」あるいはイスラム学をイスラム護教的な知識のインデックスと言い切ってしまうと(言ってしまいたくなるのはやまやまだが)、これはちょっとはやまりすぎかもしれない。相対化という概念そのものが西洋的学問世界の産物であり、そもそも絶対しか存在しないイスラム的知識世界では思考のツールとしてはとても怪しいものかもしれないからだ(こういう考え方自体が、そもそも文化相対主義の限界だと人はいうのだけれども、それがちがうとおもう。ここで終わってしまえばそれはたしかに限界だが、考えることをやめずに知ろうとしつづければ&それは可能である…、よりよい理解に到達できるはずだ)。異文化を理解するというのは言葉の翻訳や旅行の経験だけで終わらせられる月並みな作業ではない。理解の元となる価値観の基盤そのものから再検討し、自らの常識そのものをも対象化するという自省の作業が常にともなっていなければならないのだから。自省、好きな言葉です。反省とはちがうね。後ろ向きであってはいけないし。これは初期柳田(國男のほうね)の「郷土生活の研究」という学問の皮をかぶった社会変革運動の試みのなかにもみつけることができるキーワード。辞書的なニュアンスとはちょっとちがうこの言葉が、じつは柳田の学問を理解する大切な鍵だとわしは思っている。これはむかしの論文でさんざん言葉をつくして書いたので、もうしばらくは深入りはしないつもりだ。
さて、かたい話がつづいた。こんどはもうすこし普通の話もしてみよう。

いやぁ文章がくどいねぇ。超悪文、ほんとに失礼。なんでもうめこもうとして、かえって焦点がぼやけてますかな。再度、手を入れてすこし読みやすくしたつもり。

J.P.ラモー*の、悲しげだがこゆいメロディのクラブサン曲(チェンバロのための曲)をききながら。*フランスのバロック時代の作曲家・和声学の完成者。生涯にたった55曲のチェンバロ曲しか残していないが、もういずれもさいこーなのだ。私はバッハ狂いでピアソラ気違いでもあるが、ラモーにも夢中だ。生涯ヒット率は超多作のバッハよりはるかに高いとおもう。

1 2

 

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索