マレーシアの新聞記事より
2001年1月3日1/3 曇天29度
マレーシアでは1月2日が新学期。新聞では一部の小学校にモデルケースとして鍵付きの机とロッカーが導入されたことが誇らしげに取り上げられている。これで子どもたちはもう重い荷物を背負わなくてもよくなるのだ。「置き勉」奨励のようだ。しかし鍵がついていないと安心して置いていけないのは、ほんとに日本とはちがうところだ。日本ならちょっとしたものでも不審ななくなりかたをすればすぐクラス会で犯人探しになるというのに。
そういえばこっちの学生(大学生もふくめて)は、荷物らしい荷物をもっているのをあまりみたことがない。もっていたとしても教科書2冊くらいをそのまんま持っているか、よくて小さなノート数冊はいるんだろうか程度のカバンを持っている程度だ。自分が日本にいるときは3泊用くらいの旅行カバン2つか3つ分くらいの荷物をもっているのが普通なので(諜報員は常に大切な情報を肌身離さずもっていなければならない)、奴らは身軽でいいなぁといつもうらやましくなる。もっともこの荷物をいいわけに自分は大学まで自動車通学しているのだけれども。
「朝日」が熱い!
事態は旧世紀末から静かに進行していた。
・日本海沿岸にチョコパイ大量漂着
・さい銭箱の中で暴れた少年4人補導 福岡・太宰府天満宮
・ネコが電気こたつのコードかじり出火、住宅全焼 岐阜
まぐまぐの「出来事2000」ではない。ぜんぶ最近の朝日の記事タイトル(asahi.com)だ。
朝日に何が起きているのだろうか…。
しかしマレーシアの新聞も負けてはいない。
今日の新聞から少しひろい読みしてみよう。
マヌケな年占(としうら)-「世界は大変ですが、マレーシアだけはまぁまぁいいかんじでしょう。」
スポーツ紙ではない、一流紙の記事だ。中国占星術師の今年の占いが記事になっている。いわく「蛇年はマレーシアにとってはいいものになるでしょう」「いい兆候がみえます」「マレーシアの北部と南部はとても繁栄するでしょう」(北部と南部にしか都市はないし、すでにそれらは繁栄している)
「しかし、東マレーシア(ボルネオのサバ・サラワクのこと、低開発地として国内問題になっている)はそれほどよくないでしょう」(そんなのおまえにいわれなくてもマレーシアの人間なら誰だって知っている)
なんでこんなもんが記事になるのかよくわからん。うらないでもなんでもない。あたりまえの現状説明にすぎない。
「一本足、罪状を認め告発される」
元旦だかにミュージシャンに大けがさせた身体障害者のことを書いた記事。容疑者は片足が膝関節より下がないのだが、この記事ではタイトルにでかでかと’One-legged accused pleads guilty’とある。日本なら即裁判ものだよ。このタイトルだけで。
あてずっぽうな行政
狭い島内に比較的裕福な人々が集中し、工場、商業、観光すべてのセクションがつめこまれているペナン島では朝昼夕の渋滞は日常である。で、この事態に対処するためにペナン州政府はいろいろやっているわけだが、年末にアナウンスされて昨日実施されるはずだった「パーク&ライド」が記事になっていた。
記事にはだだっぴろい明け方の駐車場に、ただ一台の車が止まっている写真とともに、「バスが来ない」とある。昨日からはじまるはずだったパーク&ライドは、市街地から少し離れたところに大きな駐車場を設置し、そこからシャトルバスでペナンの中心地ジョージタウンのコムタまでを代替輸送することで中心部の混雑や環境汚染その他もろもろの問題の解消をはかる見込みだった、計画自体は素敵なものだった。
しかし、いざふたをあけてみると、まじめに反応して駐車場に来たもののバスはいつまでたってもこない。中止連絡の掲示もない。まじめな市民(とてもとても少数)がバカをみる結果となった。州政府側は「さぁやりまっせー」とやる気十分に計画を打ち出してみたものの、市民の反応があまりに冷たかったことから、直前になって「やっぱやめた」ということらしい。
この手の先走りは、マレーシアではかなり一般的だ。きっと根回しをしないのだろう。で、思いついたらとりあえずぶちあげて、文句がでればさっさとひっこめる。マレーシア政治に象徴される、このあてずっぽうなやり方を象徴する出来事だった。日本でこんなことばかりしていたら、すぐに政府や行政の能力を疑われることになるが、ここではそんなことは問題にならないらしい。だが、これはかなりマシな事例だ。彼らは事前にも現在も市民に対してサーベイをしているし、それをもとに政策をねっているだけ、かなりまともだとおもう。もっともそれがはずれたわけだが。
保身のいいわけ
で、なにか言われたら全力で保身のためにすさまじいいいわけをするのもすごいところだ。個人だけでなくお役所もいいわけする。最近もタイ南部でマレーシア人の旅行者がバス事故にあった際に、「言葉の問題などもあるのに、遺族に対しても被害者に対してもマレーシア領事館はなにもしてくれなかった」という言あげがあったが、当の領事館は「事故がおきたらすぐに領事館に連絡してすべてをこちらにまかせてくれていればよかったのだが、ツーリスト側がぜんぶアレンジしてしまったのでこちらでは手の出しようがなかった。」というおよそいいわけにもならないいいわけをしていた。そんなことしてたら1分を争う事故の被害者の命はぜんぶどこぞへいってしまいますがな。
もう少しまじめな内容の、「ぴかぴかの一年生」の憂鬱、「なかよくしようぜマレー人同士」についても書こうと思っていたが、もうスペースがない。また今度にしよう。
今日は、夕方、近所にある伝統的な寄宿制の宗教塾(ポンドック)をひさしぶりにのぞきにいった。知り合いとあって、今度の金曜日いろいろお話聴かせてくれと頼んだ。あいかわらずポンドックには学生たちが戻ってこない。もう普通の学校ははじまっているのに。グル(先生)の授業がまだはじまらないからだろう。ふだんは2000人近いこの宗教コミュニティも、今はとても静かだ。しかし、ここが(与党側、連邦政府側からいわせれば「)マレーシアの国内政治の不安定要素をつくりだす反与党勢力の一大拠点なのだ。「なかよくしようぜマレー人同士」はこの点の理解を助けるひとつのトピックになるので、いずれ詳説したい。一番ヤバいがいろいろとおもしろいところだ。
マレーシアでは1月2日が新学期。新聞では一部の小学校にモデルケースとして鍵付きの机とロッカーが導入されたことが誇らしげに取り上げられている。これで子どもたちはもう重い荷物を背負わなくてもよくなるのだ。「置き勉」奨励のようだ。しかし鍵がついていないと安心して置いていけないのは、ほんとに日本とはちがうところだ。日本ならちょっとしたものでも不審ななくなりかたをすればすぐクラス会で犯人探しになるというのに。
そういえばこっちの学生(大学生もふくめて)は、荷物らしい荷物をもっているのをあまりみたことがない。もっていたとしても教科書2冊くらいをそのまんま持っているか、よくて小さなノート数冊はいるんだろうか程度のカバンを持っている程度だ。自分が日本にいるときは3泊用くらいの旅行カバン2つか3つ分くらいの荷物をもっているのが普通なので(諜報員は常に大切な情報を肌身離さずもっていなければならない)、奴らは身軽でいいなぁといつもうらやましくなる。もっともこの荷物をいいわけに自分は大学まで自動車通学しているのだけれども。
「朝日」が熱い!
事態は旧世紀末から静かに進行していた。
・日本海沿岸にチョコパイ大量漂着
・さい銭箱の中で暴れた少年4人補導 福岡・太宰府天満宮
・ネコが電気こたつのコードかじり出火、住宅全焼 岐阜
まぐまぐの「出来事2000」ではない。ぜんぶ最近の朝日の記事タイトル(asahi.com)だ。
朝日に何が起きているのだろうか…。
しかしマレーシアの新聞も負けてはいない。
今日の新聞から少しひろい読みしてみよう。
マヌケな年占(としうら)-「世界は大変ですが、マレーシアだけはまぁまぁいいかんじでしょう。」
スポーツ紙ではない、一流紙の記事だ。中国占星術師の今年の占いが記事になっている。いわく「蛇年はマレーシアにとってはいいものになるでしょう」「いい兆候がみえます」「マレーシアの北部と南部はとても繁栄するでしょう」(北部と南部にしか都市はないし、すでにそれらは繁栄している)
「しかし、東マレーシア(ボルネオのサバ・サラワクのこと、低開発地として国内問題になっている)はそれほどよくないでしょう」(そんなのおまえにいわれなくてもマレーシアの人間なら誰だって知っている)
なんでこんなもんが記事になるのかよくわからん。うらないでもなんでもない。あたりまえの現状説明にすぎない。
「一本足、罪状を認め告発される」
元旦だかにミュージシャンに大けがさせた身体障害者のことを書いた記事。容疑者は片足が膝関節より下がないのだが、この記事ではタイトルにでかでかと’One-legged accused pleads guilty’とある。日本なら即裁判ものだよ。このタイトルだけで。
あてずっぽうな行政
狭い島内に比較的裕福な人々が集中し、工場、商業、観光すべてのセクションがつめこまれているペナン島では朝昼夕の渋滞は日常である。で、この事態に対処するためにペナン州政府はいろいろやっているわけだが、年末にアナウンスされて昨日実施されるはずだった「パーク&ライド」が記事になっていた。
記事にはだだっぴろい明け方の駐車場に、ただ一台の車が止まっている写真とともに、「バスが来ない」とある。昨日からはじまるはずだったパーク&ライドは、市街地から少し離れたところに大きな駐車場を設置し、そこからシャトルバスでペナンの中心地ジョージタウンのコムタまでを代替輸送することで中心部の混雑や環境汚染その他もろもろの問題の解消をはかる見込みだった、計画自体は素敵なものだった。
しかし、いざふたをあけてみると、まじめに反応して駐車場に来たもののバスはいつまでたってもこない。中止連絡の掲示もない。まじめな市民(とてもとても少数)がバカをみる結果となった。州政府側は「さぁやりまっせー」とやる気十分に計画を打ち出してみたものの、市民の反応があまりに冷たかったことから、直前になって「やっぱやめた」ということらしい。
この手の先走りは、マレーシアではかなり一般的だ。きっと根回しをしないのだろう。で、思いついたらとりあえずぶちあげて、文句がでればさっさとひっこめる。マレーシア政治に象徴される、このあてずっぽうなやり方を象徴する出来事だった。日本でこんなことばかりしていたら、すぐに政府や行政の能力を疑われることになるが、ここではそんなことは問題にならないらしい。だが、これはかなりマシな事例だ。彼らは事前にも現在も市民に対してサーベイをしているし、それをもとに政策をねっているだけ、かなりまともだとおもう。もっともそれがはずれたわけだが。
保身のいいわけ
で、なにか言われたら全力で保身のためにすさまじいいいわけをするのもすごいところだ。個人だけでなくお役所もいいわけする。最近もタイ南部でマレーシア人の旅行者がバス事故にあった際に、「言葉の問題などもあるのに、遺族に対しても被害者に対してもマレーシア領事館はなにもしてくれなかった」という言あげがあったが、当の領事館は「事故がおきたらすぐに領事館に連絡してすべてをこちらにまかせてくれていればよかったのだが、ツーリスト側がぜんぶアレンジしてしまったのでこちらでは手の出しようがなかった。」というおよそいいわけにもならないいいわけをしていた。そんなことしてたら1分を争う事故の被害者の命はぜんぶどこぞへいってしまいますがな。
もう少しまじめな内容の、「ぴかぴかの一年生」の憂鬱、「なかよくしようぜマレー人同士」についても書こうと思っていたが、もうスペースがない。また今度にしよう。
今日は、夕方、近所にある伝統的な寄宿制の宗教塾(ポンドック)をひさしぶりにのぞきにいった。知り合いとあって、今度の金曜日いろいろお話聴かせてくれと頼んだ。あいかわらずポンドックには学生たちが戻ってこない。もう普通の学校ははじまっているのに。グル(先生)の授業がまだはじまらないからだろう。ふだんは2000人近いこの宗教コミュニティも、今はとても静かだ。しかし、ここが(与党側、連邦政府側からいわせれば「)マレーシアの国内政治の不安定要素をつくりだす反与党勢力の一大拠点なのだ。「なかよくしようぜマレー人同士」はこの点の理解を助けるひとつのトピックになるので、いずれ詳説したい。一番ヤバいがいろいろとおもしろいところだ。
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